神と御旨

神と御旨を考えるブログです。

御子女様は神の血統ではなかった!

「御言と原理で読み解く摂理観」より

第六章 (二)

文先生の真の後継者は誰なのか?

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神の血統についてまとめると次のようになります。

・神の血統は心情的血統である

・神の血統は縦的(垂直)関係によって結ばれる

まずは「神の血統は心情的血統である」を前提にして、現在その「血統」を相続している人は誰なのかを考えてみましょう。

御子女様たちは再臨主の生物学的血統圏内にありますが、それだけでは神の血統であるとはいえません。原理的に重要なのは、心情的血統圏内にあるかどうかです。何らかの儀式( 例えば王冠の授与式など )を受けたとしても、それは象徴的なものであり、それだけでメシヤの正当な後継者であることの証明にはなり得ません。神と完全に一体となった真の父母の心情を相続し、縦的8段階を上って第一祝福を完成してこそ、メシヤシップを持った人となり、真の後継者となることができるのです。

また、横的な夫婦関係( あるいは性的関係 )では血統がつながらないため、メシヤと結婚したとしても、ただそれだけで神の血統になるということはありません。同じようにメシヤとの性的関係によって血統転換が成されるという血分け理論は原理に反しています。

文先生が「血分け」と取れるような行為を行っていたのは、全く別の摂理的意味があってのことです。いずれ詳しく解説したいと思います。

このような観点から見た場合、新約時代を取り戻すために立てられた1960年の条件的な御聖婚式による文先生と韓鶴子女史の間に誕生された御子女様たちは、原理的にどのような位置に立っておられるのでしょう。前述したように、再臨主の相対に立つ女性が神の血統を復帰していない状態であれば、たとえ無原罪の文先生との間に生まれた御子女様たちであったとしても、そのままで神の心情的血統を持った子女になるわけではありません。

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原理講論ではなく、御言に基づく原理では、「神やサタンの血統を受けるのは第一祝福型の四位基台によって決定される」となっています。

したがって「原罪」とは、法廷論的なものではなく、サタンとの縦的な父子関係によって作られる血統的な罪だといえます。神の子女か、それともサタンの子女かは、生物学的血統を受けて誕生する前の段階、父と母が神とサタンのどちらを中心にした立場で第一祝福型の四位基台を形成したかによって決定されるのです。

私たちをつくられた神様を父と呼ばなければならないのに、反対に、サタンを父と呼ぶようになったのが堕落である。(「御旨の道」P29  み旨 二、善と悪)

「父母」や「子」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結されることなくしては、絶対に成立することは不可能です。それは、神様も引き裂くことはできません。堕落したサタンも引き裂くことはできません。(「ファミリー2001/7」 P35 「神様王権即位式」は天と地の勝利を完成する)

サタンの血統根絶です。心と体が一つにならなければ、根絶されません。それは〝根絶〝です。今までは、〝断絶〝したのです。断切とは枝を断切し、歯も断切して木片の3分の1を断切したのです。(「ファミリー99/2」 P21 第32回「真の神の日」午前零時の御言 真の祝福天宙化とサタンの血統根絶)

では、真のお母様・韓鶴子女史はどうでしょう。再臨主の相対者となった時点の17歳の韓鶴子女史が第一祝福を完成していない立場であれば、原罪を清算せずに御聖婚式に臨まれたことになるため、本然の真の父母としての結婚ではなかったといわざるを得ません。それは、新約時代を取り戻すための蕩減条件としての夫婦であり、第三イスラエル圏の中心家庭として立つための条件的御聖婚式だったのでした。

もちろん私たちは、必ずしもお母様(韓女史)や御子女様の位置を軽んじるものではありません。文先生に直接侍り、夫婦、親子としての時間を共有してこられたことは、掛け替えのないものであると信じています。だからこそ、真の御家庭が神の心情を中心として関係を修復して頂けるように心から願っています。家庭再建運動を提唱する立場として、御家庭が一つになっていただくことは原理的にも運動論的にも必須条件だと思います。

真の御家庭が非原理的状況にある要因

次の御言は1994年にイーストガーデンに真の御子女様と祝福二世を集めて、二世のために語られたものです。

君たちは真のご父母様の前に、不平を言うことができません。君たちは「私はこれをやりたいです」とは言えません。君たちは、サタンの根、野生のオリーブの根を切り捨ててこそ、真の愛の新芽を相続することができるのです。そうできなければ、復活できません。不平は言えません。(「祝福85号」P77 祝福二世の行くべき道)

統一教会の教義では既に原罪が清算されているはずの祝福二世に対して、文先生は「サタンの根、野生のオリーブの根を切り捨ててこそ、真の愛の新芽を相続することができる」と語っておられます。

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これは祝福二世であっても、そして御子女様であっても、その時点では未だ「サタンの血統圏にある」ということを示唆しています。

第五章で紹介された御子女様に対する御言

だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。(「女性訪韓修練会御言集」P186 真の父母と重生)

 祝福家庭は文先生によって神の子として生きる希望と使命を与えられたわけですが、しかしただ一連の儀式を通過しただけで、そこに真の意味での心情転換・心情復帰がなければ、その「親子関係」はただ形だけ(条件的・象徴的)なものになってしまうでしょう。

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仮に原理的に見て本然の真の父母から誕生され、神の血統を相続した真の子女様が、これまでに見られたような様々な非原理的行為(麻薬・浮気・不倫・暴力・自殺問題など)を行っていたとするならば、人類が完全に救済される希望は消滅してしまいます。また真のご家庭内に分裂や闘争が起きるということは、原理講論に示された創造原理の根本的な教義の崩壊を意味しています。実際、真の御家庭にまつわるスキャンダルは、神学的にも、そして組織対策上も、きわめて深刻な問題だったようです)しかし真の御家庭だと思われていたのが、実は原罪を持ったままの母や子女によって築かれていたならば、そこに分裂や闘争があったとしても何ら不思議ではありません。むしろそれは、神の血統とは生物学的なものではなく心情的なものであり、たとえメシヤの生物学的遺伝子を受け継いでいたとしても、神の心情的血統復帰しなければサタンの血統のままであり、真の救済はあり得ないという原理の証明でもあります。

皆さんが神様の血統を受けられなかったという証拠が何かと言えば、心と体が闘っているということです。心と体が闘わない人、手を挙げてください。一人もいませんね!それが神様の息子ですか、神様と関係のない人です。深刻な問題です。

この戦争は、アダム・エバから始まって今日まで続き、今から皆さんの息子娘に引き継いで、数千万年、この闘いが続き得る可能圏に立っているということを知らなければなりません。(「ファミリー1998/1」P13 第38回 「真の子女の日」記念礼拝 真の子女の勝利圏を完成しよう)

ですから、私たち個人を中心として見るとき、心と体が闘っています。復帰された人は、心と体が一つになっています。皆さん自身を見るとき、心と体が闘って一つになることができないのです。(「 ファミリー96/2」P40 神の日記念礼拝)

成約時代の開門と希望の時代

逆に、生物学的血統を引き継いでいないとしても、心情的血統がメシヤに連結され心身統一の第一祝福を完成すれば、誰もが神の実子となって本然のアダム・エバの位置に立てるということでもあります。

そして今、最も暗く困難に思えるこの時こそ、その理想が実現する時であると文先生は語っておられます。40年間のキリスト教の失敗を取り戻すための蕩減期間が終了した2000年に天国入籍セミナーが行われ、さらに2001年1月1日午前零時 「神の日」の式典において文先生は、「新約時代を終えて新しい成約時代が開門した」と祈祷しておられます。

愛する天のお父様。たった今、キリスト教歴史2000年を終え、3000年に向かって出発する2001年の新しい年を迎えました。お父様。天と地が注視するこの場、天宙のすべてが、神様の愛の因縁に従い、勝利的地上、天上天国建国という、あなたが願われたみ旨の役事が2000年を通過するこの時でございます。

(中略 P9)この新しい出発を成約時代の開門とともに勝利の栄光を中心として、神様の解放はもちろんのこと、真の父母が解放圏を成して天地父母と子女が一心一体となって、全ての世界に神様が願われる主体的み旨の完成、絶対、唯一、不変、永遠であられるみ旨の完成を成す・・・(「ファミリー2001/1」P6・9 第34回神の日 午前零時の祈祷)

2001年に「成約時代が開門」したのですから、それは私たち条件的祝福家庭が本然の祝福家庭(真の家庭)になれる時(約束が成就する時)が来たということです。それは、第二イスラエルであるキリスト教と同じ霊的救済の範囲で「天国の待合所」に留まっていた段階から、霊肉共に救われ、生きて地上天国に入籍可能な希望の時代を、私たちは生きているということです。

昨日までの二千年間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時なので、今からは、そのような時代が過ぎて、黎明が訪れ、新しい朝の成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代となったのです。

ですから、この標語は、一時だけではなく、永遠な・・・皆さんが、あの世界に行くまで残る課題であるということを理解し、家庭がどれほど尊いのかということを理解し、一心同体となって、天地父母様のみ旨を完成して差し上げなければなりません。分かりますか?(「はい。」) (「ファミリー2001/1」P12 第34回神の日 午前零時の御言)

現在の家庭連合(統一教会)の混乱は、キリスト教の蕩減という、その本来の使命が終わったにもかかわらず、責任者たちがそのことに気づかず自らの保身に固執し次の摂理に移行できず、むしろ新しい神の摂理を妨害するような立場にあるからだと考えられます。

第二次・第三次摂理は辺境・分派から始まる

今、統一教会(家庭連合)は、さまざまなグループに分かれ、それぞれが正当性を主張し争っています。まさに宗教史の中で幾度となく繰り返されてきたことが、そのまま同時性のように統一教会内でも再現されているかのようです。本来、そうしたことを終わらせ、神の下に諸宗教を統一する使命を担っていたはずの第三イスラエル自体が分裂してしまっているという、あまりにも皮肉な状態に陥っています。

今のこの状況は決して望ましいことではありませんが、ただ前章の最後に述べたように、ある意味、摂理的必然として起こってきた終末現象であるとも考えられます。そういった意味では、この試練が過ぎた後は、いよいよ成約時代が実体的に開かれていくという、最高に希望的な時代を、私たちは生きているということになります。それは今の私たちの選択や決断が、極めて重要であるということでもあります。

では、一体誰が文先生の真の後継者なのでしょうか。私たちは何を基準に進むべき道を選んだら良いのでしょう。指導者の資質、具体的な実績、救済論などの教学、将来へのビジョン、公益的活動の有無、自分の直観などなど、それぞれ何らかの判断基準をもとに、どのグループに所属するべきか、あるいはしばらく距離を置いて様子を見るべきか、考えておられると思います。 私たちはまずは文先生の御言こそ、この混乱を乗り越えるための指針であると考えています。理性と霊性と心情を傾け、祈りながら御言を訓読するならば、必ずそこに答えがあると確信・実感しています。

終わりの時には誰も信じてはいけないと聖書は言っています。私を信じてはいけません。そして皆さんの教会の長老をも信じてはいけません。牧師も有名な大衆伝道者をも信じてはいけません。天がとても近くなって、聖霊によって、高く持ち上げられれば、そしてもし、非常に熱心に祈れば神と語り合えるし、直接神から答えを得ることができます。(「御旨と世界」P344 キリスト教の将来 1973年10月28日)

「終わりの時には」、今までの既成概念を持ったままの「私」固執してはなりません。教会の長老や牧師(牧会者)に対しても盲信しないよう思慮深くあるべきです。また、噂話や、対立するグループによる批判等を鵜呑みにせずに、実際に会って話を聞き、その上で判断するというのも大切です。私たちはこれまでも多くの指導的立場におられる方々のもとを訪ね意見交換をしてきました。御子女様や主要各派はもちろん、小さな分派といわれる所でも、とにかく会って下さるのであればできるだけ先入観を持たずに、今後の摂理について真摯に語り合ってきました。

歴史をかけて準備した摂理が崩れた場合、神は、私たちが思いもしなかった辺境から新しい摂理を始められることがあるからです。イエス様の時のエッセネ派や、再臨主の時のイスラエル修道院や聖主教団、腹中教などは、当時の主流派から見れば、あまり見向きもされないような「分派」だったといえるでしょう

救済への道や方法を共に学ぶことにより、天一国に向かって進むことはできるでしょう。近づくこともできるはずです。しかし、天一国に入籍するためには、縦的心情復帰路程を歩み、長成期完成級を越えて実子圏に入り、神の心情と一体となった人格完成者(心身統一)の基準に至ることが絶対条件です。

エス様が語られたように、天国は外的などこかの場所にあるのではなく、私たち一人ひとりの心の中にあります。文先生は、そのような人格を完成した人たちで作る家庭に天国があると語られました。イスラエル圏(僕圏・宗教圏)に留まったまま心が未完成な状態では、決して真の意味での原理的救済とはいえません。

諸派が「自称メシヤ的グループ(本物であるかどうかは別として)」であるとすれば、「成約時代のメシヤを待ち望みその準備をする洗礼ヨハネ的な立場」にあると言えるかもしれません。もちろん、文先生が再臨主として来られ、その使命を果たそうとされたということに異論はありません。しかしながら繰り返し述べてきたように、その再臨主を迎えるキリスト教の基盤が崩れた時点で、イエス様と同じようにそのままメシヤとして立つことはできなくなり、洗礼ヨハネ的な立場で新たなイスラエル圏(統一教会)を組織せざる得なくなったということも摂理的な事実です。何よりも文先生ご自身が明確にそう語っておられます。原理的に見てイスラエル圏を準備するのは、メシヤではなく、あくまでも神と洗礼ヨハネ的立場にある人たちの摂理的な責任分担です。

 そもそも「イスラエル圏」とは、堕落世界の中において摂理的に分離されたアベル圏であり、天国に向かう「船」ではありますが、それ自体が天国ではありません。むしろイスラエル圏に留まっているということは、まだ堕落圏内いるということであり、救われていない(救いの途上にある)ということでもあります。

人や組織を中心に考えると、いま分裂、対立の中にあって、どれが正しい道なのかということは、分かりにくくなっています。文先生が聖和された後の時代、私たち食口が立場を越えて共有できるのは、文先生への信仰や心情と、その文先生が遺された御言です。今がどういう時代であり、これからどの方向に進むべきなのか、人や組織についていくのではなく、御言を中心に判断すべきであると思います。真剣に訓読し、祈り求めるならば、御言の中にきっと答えが見つかるはずです。

「御言と原理で読み解く摂理観」より

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明日は、「誰も知らない皇族圏の本当の意味とは?」です。

お楽しみに!

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