神と御旨

神と御旨を考えるブログです。

御言はなぜ暗号で語られたのか?(1)

「再臨主はなぜ御言を暗号で語られたのか?」より

 

f:id:nihonwakamigawa:20200506184058j:plain


なぜ“文先生は、御言を暗号で語らなければならなかったのか?、そして、“暗号解読は、メシヤではなく、私たち人間の責任”においてなさねばならない理由について、説明したいと思います。文先生は確かに、第3イスラエル建設時代には御言を暗号として語るとおっしゃっています。それは、御言集「牧会者の道」のP1034に掲載されていますので、ご確認いただければ幸いです。

「第三イスラエル建設路程の出発に臨んでいる皆さん! (中略)この時は天の国の暗号が聞こえる時代です。今は暗号通信時代です。摂理的な暗号、歴史的な暗号、時代的な暗号、また、人間的な暗号、使命的な暗号の通信時代なのですが、このような暗号を通じて連絡できるし、作戦計画を遂行することもでき、地上統一理念の代身者になれる時代であるのです。」
(牧会者の道 第六章 P1034)

この御言は、元々マルスム選集3巻に載っているものですから、統一教会の歴史においては草創期の御言だということが分かります。草創期ですから、この御言の始まりが、「第三イスラエル建設路程の出発に臨んでいる皆さん」となっています。「皆さん」はもちろん目の前にいる「食口たち」を指しています。

第三イスラエル選民である統一教会を建設していく時代には、天の国の言葉が「暗号」として通信され、暗号を通じてメシヤと選民たちが連絡できるし、神の作戦計画を秘密裏に遂行することもできるのです。暗号といえば、「モールス信号」が有名です。戦争のときなどは暗号を使って通信し、作戦計画を遂行します。作戦が敵に知られては優勢に戦うことができなくなるからです。こちらの攻撃内容がそのまま敵に分ってしまったら、先に皆逃げてしまうか、逆に攻撃される危険が出てきます。ですから、暗号で通信しながら敵と戦ったのです。

当然、味方どうしは暗号解読の能力を身に付けておかなければなりません。そうしないと、通信内容を理解することができず、作戦を遂行することができないばかりか、味方どうしで大混乱を引き起こすでしょう。

文先生が、統一教会の建設時代は暗号で通信されていると語られているのですから、天の暗号も解明されないと、食口たちに意味が伝わらず、作戦の遂行ができず、組織内部で大混乱になってしまいます。これほどまでに文先生は明確に“暗号で通信する”と指摘されていたにもかかわらず、残念なことに統一教会では今日まで御言の解読をせず、また、食口は御言が暗号で話されていると知らずに来ました。

したがって、天の作戦の遂行に支障をきたし、大きな失敗をしてきたことは否定できません。現在、統一教会が大混乱に陥っているのもそのためであると言えます。
では、なぜ文先生は御言を暗号化して語らなければならないのでしょうか。あるいは、文先生の御言は、どのように語られているのでしょうか?

まず、結論から分りやすく箇条書きで整理してみます。

1) 人間が縦的に上がるための御言は、「人間の責任分担」に関わるため、間接的表現になる。
① 縦的な御旨に関する内容を、横的な外的摂理に例える。
② 数字や実際の物(魚・船・飛行機・橋・有名人や国や団体の名前など)に例える。
③ 歴史の出来事や現在(当時)起きている社会現象に例える。

2) 外的な摂理に関しては基本的に直接表現されるが、社会情勢に配慮し例えることがある。
① 政治的配慮が必要な場合、御言は例えられたり「暗号化」される場合がある。
② 方便(仮にとる便宜的な手段)が用いられる場合がある。

3) 御言の理解は理性的分析と共に、心情的共鳴が重要な本質的要素である
① 「言葉」は「言霊」と言われるように、霊的・心情的相対基準に合わせて悟れるように語ってある。
② 完全な御言の理解は、長成期完成級を越えて神の実子圏(第一祝福完成基準)に入らなければ原理的に不可能である。
※ 「御旨」「摂理」という単語の使い方に関しては、
【御言を解く鍵】御旨と摂理の違い をご参照ください。

●人間が縦的に上がるための御言は「人間の責任分担」に関わるため間接的表現になる
縦的な人間の責任分担に関しては、原理講論にも説明がありますので、初めに再確認しておきましょう。

「神は天使と人間とを創造されるとき、彼らに自由を与えられたので、これを復帰するときにも、神は彼らに強制することはできない。それゆえに人間は、あくまでも自分の自由意志による責任分担としてみ言を探しだし、サタンを自然屈伏させてこそ、創造本然の人間に復帰することができるのである。」 (原理講論 P117)

「人間が神の創造性に似るためには、人間自身がその責任分担を遂行しながら成長し、
完成しなければならない。このような成長期間を、我々は間接主管圏、あるいは、原理結果主管圏というのである。それゆえに、人間がこの圏内にいるときには、彼ら自身の責任分担を完遂させるため、神は彼らを直接的に主管してはならないのである。そして、神は人間が完成したのちにおいて、初めて彼らを直接主管されるようになっているのである。」
(原理講論 P129)

神が直接主管できるのは、人間が責任分担を果たし、完成した基準に立ったときです。それまで神は、人間を「間接的」に主管されるのが原理の絶対的鉄則だというのです。
しかし、神の本質は「原理原則」だけの「法則」や「知」的側面に偏った存在ではありません。神の最も本質は「親なる真の愛の心情」にあり、それが、神が神たるゆえんでもあると思います。

その神が、人間を第二の神として完成させるために「自由」と「責任分担」を賦与したため、神も人間がなすべき責任分担には直接干渉できないのです。自由と責任分担が与えられたということは、他の動物とは次元の違うレベル(神と同じ基準)の「愛(心情)」と「理性的判断能力」が「心」に与えられたことでもあります。

したがって、人間の責任分担は、愛と理性的判断能力の互恵的関係による調和的成長により、人格を形成させ、神の創造理想(目的)を完成することです。それは神の御旨である「三大祝福」の完成を意味しています。三大祝福完成の本質は「心情(愛)」の完成にありますが、「理性的判断」による真理の実践なしには成し得ません。

哲学者パスカルいわく“人間は考える”存在なのです。人間には神から与えられた「心の要素」を完成することにより、実体として顕現する第二の神として、万物(すべてのもの)を「主管」する「天宙の主管主」となるのです。

f:id:nihonwakamigawa:20200506215145j:plain

文先生が語られる主管の概念は、権威や武器などの「力」によって行なうものではなく、「心情(愛)と真理による人格的な主管」ということになります。人間の責任分担原理は、堕落人間においても同じ法則が適用されます。すなわち、人間自身の自由と責任において、自らの意思と努力で愛と真理の実践が必要であり、「原理原則」だけに従うことや、「他力的な奇跡や霊現象」のみによる救いはありません。堕落人間においては、間接主管圏内は完成に達するまでの「心の成長期間」であると同時に、「罪の清算期間」でもあります。

さて、聖書の創世記には、最も重要な人類始祖の成長期間に、神の御言が直接表現で与えられないで、「戒め」をまるで「木の実を食べる」話のように例えられています。なぜなのでしょうか?

※ 文先生の御言から発見された成約時代の原理の観点から、「人間の責任分担」における「直接主管」と「間接主管」について確認してみましょう。

文先生が語られる「主管」の概念は、「心情(愛)と真理による人格的な主管」でなければならないのですから、神による直接主管とは、神と人間の間に心情関係が通じ合い、愛と真理により「神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感じる」(原理講論P66)、互いの心の関係の中に成立するのです。私たちの具体的な行動を力や権威によって抑圧し、管理・支配することを指しているのではありません。

神の直接主管圏は、原理的には「第一祝福を完成」した状態から始まり、御言の表現でいえば、「縦的8段階の実子の基準」に立った位置において実現します。それは、神と心の通じ合う相互関係が成立した状態です。神との心情関係が直接結ばれた人は、仮に、神と言葉を交わし合わなくても互いの思いが通じ、神が何を考えておられ、自分に何を願っておられるのか理解できる(悟る=真理の会得)ようになります。これは、直接的に言葉を伝えているのと同じです。逆に、心情が通じ合わない関係であれば、直接的表現による言葉をどれほど伝えても、理解する(悟る)ことができません。

このように、神との心情関係が完全に一体となった実子(第一祝福完成者)が、イエス様や文先生でした。イエス様が「私は道であり、真理であり、命である。」と語られたごとく、神と直接心情が通じることにより、神の御言(真理)が完全に理解できたのです。そのように、人間の責任分担を果たしたアダムは、本来は神と一体となった神の子としての宣言をされなければなりませんでしたが、残念ながら堕落の結果それができなかったのです。イエス様は、神の独り子であることを宣言されました。

「私が父におり、父が私におられることをあなたは信じないのか。私があなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父が私の内におられて、み業をなさっているのである。私が父におり、父が私におられることを信じなさい。」ヨハネ14:10)
と語られたのは、まさに第一祝福を完成されていたことを示したものです。そして、イエス様が神の御言に完全に通じておられたことが分かります。

f:id:nihonwakamigawa:20200506215246j:plain




堕落する前の創造本然の時代には、神の愛は三大天使長を通して人類始祖に与えられました。神は霊人体も肉体も持たない無形の心的存在ですから、実体世界に住む人類始祖との関係は、無形実体世界に住む天使長を中間位置に立てて交流されたのです。文先生の御言によれば、天使長家庭で人類始祖は育てられていたのです。

ですから、神と人間の関係は、将来的には真の親子の関係が結ばれることが願いでしたが、現実的には天使長を仲保とした「間接主管圏」にあったことが分ります。心情的観点から見ても、明らかに間接的な愛の関係だと言えます。しかも、天使長たちも実子ではありませんので、心情的には間接主管圏にいたことになります。

そうなると、天使長たちもまだ神に完全に心情が通じた立場ではありませんので、神の真の愛も、真理の御言も、悟りきることはできていなかったでしょう。このことが、人類始祖との堕落に結びつく重大な原因の一つでした。

人類始祖は神の僕である天使が主管する位置にいるので、神から見るとアダムとエバは僕の僕という位置にあったといえます。そして、天使長にとっては神の子を預かって育てる養父の立場にあり、人類始祖は天使長の養子の立場だということが分かります。これが、人類始祖の成長期間における天使長家庭の原理的位置関係でした。

神の「御言」という観点から考えると、たとえ神が天使や人間の心に直接的表現で語られたとしても、それを明確に理解するのは難しいという状況でした。イエス様が、高度な神の御言を直接語れないので例えを使って弟子たちに話しても、なお「聞くには聞くが悟らず」(マルコ4:12)と弟子の幼さを嘆いた御言が聖書に記載されていますが、人類始祖も、神の御言を心情と理性で受け止めるにはまだ十分な状態ではなかったのです。

そうなると、神の基準からは幼子に語るように「たとえ話」で教えるようになります。それは、「御言の間接的表現」にあたります。このように、御言が間接的表現になることによって、神の原理的位置が担保され、人間にとっては「責任分担」が発生するのです。人間自身の努力(責任)により、心を成長させ、天使たちや自然界の様子から学びながら、神の真の愛と真理を少しずつ勝ち取っていくのです。「真理を愛する子女関係を結んでいく」ということです。

再臨主として誕生された文先生も、原理がそのようになっているために、イエス様と同じようにご自身の努力によって御言を復帰していかれたのです。そして、サタンを屈服させ、実子の基準に立たれたのです。神の御言の真理を悟り、愛を体恤されて後、メシヤとしての使命を出発されたことは間違いありません。

ところで、私たち堕落人間とは、どのように接していかれるでしょうか? サタンに主管された立場(サタンの自己中心の情と一体)にある、即ち、そもそも「僕」であったサタンの僕圏にいる堕落人間ですから「サタンの僕の僕」に対して、御言の真意を伝えるには大変困難を要するのです。

f:id:nihonwakamigawa:20200506215337j:plain

皆様は、「あの当時のアダム・エバよりも私たちの方が年も上だし、理性的にも高いのではないか。」と考えられるかもしれませんが、はたしてそうでしょうか?上の図を見ていただければご理解いただけると思いますが、私たちの原理的位置は、人類始祖が堕落した長成期完成級よりもはるかに低いのです。それは、神との「心情的距離がはるかに遠い」ということでもあります。御言の本質が心情にあるのであれば、神やメシヤが深い心情的な御言を語り聞かせるにあたり、どれほど切なく困難な立場におられるでしょうか。

人間をロボット(機械)のように、力で完全主管して強制的に道を歩ませることは、「自由と責任分担」を賦与されている人間に対して、原理の原則において行うことができません。また、仮にそのようにしても、決して私たちが神の愛の心情に通じることは不可能でしょう。

ですから、「たとえ話(比喩)」で語り、「暗示」「表示」「合図」などを用いて語られるようになるのです。そのように語られた御言も、やがて人間の心の成長と共に、神の真理に通じるようになるのです。

文先生も人類の真の父としてこられましたが、子女(弟子)たる私たちが聞くには聞くが悟ることができないことを知っておられたので、原理の原則に引っかからないように、細心の注意を払いながら「間接的表現」を使って御言を語られたのでした。

●外的な摂理に関しては基本的に直接表現されるが、社会情勢に配慮し「暗号化」することがある

文先生は、摂理を守り進めていくために戦略的にどこかの国や人物に配慮しなければならない時は、その国や人物の実名を出さないで対機説法的に暗号通信するのです。すなわち、戦争に例えて言えば、味方に指示を出すときには、敵(分っては困る人たち)に作戦計画が分らないように、直接的表現をしないで「暗号」で通信するということです。

例えば、「天使長国家が問題だ。国の中心に立つ天使長がサタンの思想と一つになり堕落して気が狂った! 天使長を取り替えなければならない。」と表現したりします。これならば、一般の人には何のことだかさっぱり分かりませんね。

しかし、御言が暗号として語られているということを前提として、暗号解読しながら聞くと・・・

アメリカが問題だ。○○大統領が共産主義者に影響を受け正しい判断ができなくなった!大統領を取り替えなければならない。」と解読することができるのです。

それから、文先生の御言は「方便」(仮にとる便宜的な手段)が用いられる場合も多々見受けられます。それは、イエス様が「あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。」(マタイ10:23)と語られたように、文先生もまるで今すぐにでも天国が来るような表現があります。しかし、現実にはどこにも天国は顕現しておらず、食口たちは相変わらず蕩減条件を立て続けています。

あるいは、堕落人間が祝福の儀式に参加しさえすれば、すぐにでも復帰されるかのような表現があります。しかし、祝福を受けても、人格に瞬間的な変化が現れ、神の子としての真の愛が宿ることはありません。そこで、統一教会では、文先生の御言と現実の矛盾に何とか対処するために、「原罪」と「堕落性本性」を別個に分けて以下のように説明しています。少し長い引用になりますが、大変重要な内容なのでお読みいただければ幸いです。

「原罪とは、もともと物質ではなく、法が命ずる“関係概念”としての評価(サタンの讒訴圏)であるために、有罪から無罪へと天的評価が変わるだけで一度に消滅してしまう、という性質を持ったものなのです。そのような意味では、原罪清算とは、ある一定の期間を通過するといった時間性を必ずしも要しないので、メシヤを中心に、必要な手続きさえ終了すれば、清算され得る長時間的なものだといえます。
その一方、堕落性本性を脱ぐ場合は、たとえ「あなたは堕落性を脱いだことにしてあげよう」といくら宣告されたとしても、それはその人自身の中に存在する「性質の歪み」という存在論的なものなので、本人が努力して変更(修復)しない限りは、消えることがないものです。
(中略)結局、我々に「原罪がある」とか「原罪がない」とかいうことは、その人が良い人か、悪い人か、あるいは堕落性が強いか、弱いか、などという人格の内容面とは一切関係なく(中略)法的な評価さえもらえるならば、どんなに人格の歪みのある人でも、また未熟な人であっても、その瞬間から「原罪はない」という立場に立てることを意味しています。」
(祝福結婚と原罪清算 P45 本部伝道教育部長 太田朝久著 光言社)
と説明しています。

はたして、神が6000年もの歴史をかけて準備を重ね地上に実体のメシヤを送って成そうとした「原罪清算」がこのような実存を伴わない次元のものだったのでしょうか。キリスト教では、長い期間を待ち続けてもイエス様が現れないため、解釈を変更し、たとえ再臨主に会わなくとも十字架さえ信じれば救われるのだという考え方を正当なものとして定着させました。同じようなことが統一教会でもおきており、御言の「方便」をそのまま受けてしまったミスを、何とか補填しようとの考えからか、文先生の本来の原理とは大きくかけ離れた救済観がほぼ定着しています。

文先生の御言では、原罪清算は神との心情的血統の回復であると説明されています。

「この地上のキリスト教徒たちは、主が来られるようになれば原罪を脱くのだと言いますが、原罪を脱ぐとはどういうことでしょうか。それは、サタンの侵犯を受けない心情的血統の回復を意味しています。最後の最後まで残るものが、これです。」
(祝福家庭と理想天国Ⅰ P683 祝福の意義と価値)

「神が一代、TPが二代、祝福家庭が三代。あなた達の二世は4代。UCの一番高い位置が36家庭。しかし罪をぶら下げている者もある。UCにも天上に地獄がある。自分が罪をぬぐえない。跡が残っている。罪の傷痕をなくさなければならない。堕落性解放。自分が残っている。自分を考える事が問題。(中略)原理の基準に生きない者をどうするか? 許す時代は終わった。」
(大陸観光ニュース 第127号 P3「真の御父母様ご聖誕慶祝敬礼式の後の御言」2002年2月17日)

「祝福結婚」と「原罪清算」の問題は、本テーマとは離れますのでここで詳細な説明をしませんが、文先生の御言は、その時々に都合がいい「嘘」を言ってきたのではなくて、状況的に直接的な表現ができない場合、仕方なく「方便」が用いられているのです。

エス様のときにも、仮に「私は2000年後に来る」と言ったとすれば、弟子たちは激しい迫害を忍耐して越えていくことができなかったでしょう。また、第3イスラエル運動に参加した人たちも、祝福は条件的なもので2000年以降に本然の祝福が始まると、1961年の時点(36家庭の祝福)であからさまに話していたとしたら、はたして今まで厳しい路程を忍耐して越えて行くことができたでしょうか?

準備されたクリスチャンたちが失敗した後、迫害の真っただ中で、異邦人を集めて摂理される文先生の悲壮なる思いを察すると、いたたまれない心情が伝わってきます。文先生も、イエス様とまったく同じ理由で、切ない思いを胸に閉じ込めて、あたかも、そのときの摂理さえ越えれば天国が来るように語らざるを得なかったのです。

私はそれこそが親の愛であったと理解しています。問題は、文先生の御言の研究を怠っていた、弟子たる私たちの方にあったのではないでしょうか。もちろん文先生は「方便」だけではなく、詳細な原理の説明もされています。文先生の置かれた立場は複雑で、第3イスラエル選民を導き神の理想を実現するために、縦的な「御旨」と横的な「摂理」の両方を進めていかなければならないので、当然、縦横二種類の御言を語られるようになります。

祝福と原罪清算のことにも関係しますが、御旨と摂理の概念は、文先生の御言がなぜ暗号化されたのかを理解する上で重要ですので、下記に整理しておきます。

◆「御旨」は、人間が縦的に成長して「愛の心を完成する」ことであり、原理的には「三大祝福を成就」することです。

これは、人間としての普遍的な責任分担です。神が人間に御旨に関する御言を伝えたいときは、原理の原則に則り「間接的表現」になるために、基本的に御言は例えや暗示的表現になります。また、まだ幼い子供のような人には、親の伝えたいことが論理的理性的に通じないために、例え、表示、合図などを織り交ぜて幼子を諭すように話される場合もあります。

ところが、文先生の御言を研究していると、大変高度な御旨に対する御言を「直接的表現」で説明された内容も多々見受けられます。これは、一見「神が直接主管しない」という原理原則に違反しているようにも見えるのですが、主管とは関係概念において成立するため、聞いても聞かず、まったく悟ることのできない人々を前にして、どんなに何を語ったとしても、「直接的主管関係」が成立しません。

すなわち、原理違反にならないということです。御旨に対する人間の責任分担を、神が直接的に強制的に主管している状態ではないのです。では、何も理解できない人たちを前にして、文先生が御言を熱心に語られたのは、何のために、どこの誰を対象として語っておられるのでしょうか。

実は、文先生が御言を伝えている相手は目の前にいる人たちではなく、将来、時が満ちたときに御言が解明されることを前提として、未来の私たちに向かって語られていたのです。あるいは、その御言が本になり地上に永遠に残されることによって、将来、御言が解明されるときに用いることができるよう、そしてそのときにすべての人類が御言を学んでくれることを期待して語られたのです。だから、「絶対に先生の御言を変更(改ざん)してはいけない!」と強く注意しておられたのです。

いずれ、堕落人間の責任分担で御言を解明(復帰)して立つ人々が出現したならば、その解明された御言はイスラエル選民圏全体に述べ伝えられるようになります。同じ堕落人間どうしで互いに学びあうことは、神もメシヤも関与しておらず直接的主管をしている立場にはないため、原理の原則に違反するものではないのです。

間接主管圏にある堕落人間たちの責任分担で御言の理解が進むようになり、そのときに御旨が本格的に始まる黄金のごとく貴重な時に至るのです。

「今後、先生の教えがさらに綿密詳細になり、より分析、整理されて、直接的、字義的に表されてくる時、そこまで実体的に真理を知ることのできるあなた方は、何と大いなる時に、黄金のごとく貴重なる時に生きているあなた方でありましょうか。」
(祝福家庭と理想天国Ⅱ P617 創立以前の内的教会史 1977年)

「再臨主はなぜ御言を暗号で語られたのか?」より

明日は、「御言はなぜ暗号で語られたのか?」(2)をお話します。

お楽しみに!

f:id:nihonwakamigawa:20200418193958j:plain

★いつも応援して下さっている方へ・・・ありがとうございます!

まだ応援していない方は、これからよろしくお願いします!

読み終えて良かったら「ポン!」と応援クリックお願いします! 

  ⇩ ⇩

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村

f:id:nihonwakamigawa:20200503174844j:plain

 ★気になる記事は、下記「LINE」をタップして友人に知らせることができます!